元号が令和に移り変わった2019年5月、日本経済新聞の「私の履歴書」に脚本家の橋田壽賀子さんが登場されていました。すなわち、「私の履歴書」の令和初となる筆者が橋田壽賀子先生!これは何とも興味深い。
ということで、橋田壽賀子先生の「私の履歴書」(日本経済新聞)を個人的な嗜好に基づきながらあれこれと検証していきたいと思います。
大きな反響を呼んだ日経新聞連載「私の履歴書」の書籍化!
レジェンドの履歴書を拝読してみる
令和元年(2019年)5月に関する日本経済新聞朝刊の現物及び日経公式サイトの該当ページから橋田壽賀子先生(以下「先生」)の「私の履歴書」を引用しながら各記事の中で気になったことをご紹介します。
大きな反響を呼んだ日経新聞連載「私の履歴書」の書籍化!
(1)夫の死
「最近の筆者」のお写真、よい表情ですなぁ。
「(1)夫の死」については、プロローグ的な意味合いを持たせた様相。
癌が見つかったご主人がこの世を去るまでの状況が記述されています。
ちなみに、ご主人の死についてはドラマ化もされました。
ご主人を亡くしたことで天涯孤独になってしまった先生。
これまでの半生を改めて振り返って日経新聞の「私の履歴書」に書き留めることが終活の一つになった様相でしょうか。
(2)ソウル生まれ
「3歳のころ」のお写真。当時としては「いいとこのお嬢さん」だったことが推察できます。
金の小粒をこしらえていた父の姿を覚えている。
相変わらず「作る」ではなく「こしらえる」で表現してきましたねぇ。何だか嬉しい(笑)
たまに父が仁川の海水浴場に連れて行ってくれると、きまって熱が出た。
お父様との距離感とか緊張感が伝わってきますね。
(3)3度の転校
ある日、学校で私をいじめる女の子の髪の毛をつかみ引き倒してケガをさせた。
いじめられながらも当時から勝気だったことをうかがい知ることができたエピソード。
(4)堺高女
「制服は洋装だった」のお写真。どことなくコシノジュンコさんや林真理子さんを彷彿させるようなお顔立ち。とにかく当時から何となく肝が据わっていたご様子。
兵隊さんに送る慰問文の課題が出ると、母に「書けないから書いて」と頼む。母の代作がコンクールで入賞したことがあった。
当時の不正を赤裸々に語る先生(笑)
お名前が「壽賀子」さんだけに色んな意味で清々しい心意気。
(5)丸めがね
「堺の盛り場で」のお写真。戦時中のカメラ目線ではない先生をとらえています。
一度だけ本屋で立ち読みしていたら、肩ひものついたテント地のカバンに手紙が入っていたことがあった。「駿河屋で会いたい」とある。
先生のささやかな青春。
(6)東京へ
「若き日の母、菊江」のお写真。どことなく渡鬼の青山タキを思い出してしまったりと。
狭い座席で荷物をほどくと番号を振った弁当が5つも出て来た。1番は私の好物のローストビーフ。5番は牛肉のつくだ煮。傷みやすい順に食べるようにとの思いやりに胸が痛んだ。
菊江さんは過干渉だったのかもしれないけど、客観的には娘への大いなる愛情を感じますね。
押されるとつい引いてしまうのが人の性。先生も例外ではなかった様相。
(7)玉音放送
「(6)東京へ」もそうでしたが、戦時中から敗戦直後にかけての貴重なご経験を語り伝えてくださっています。
やはり先生の実体験だけに読みごたえがあります。
「(7)玉音放送」については別記事をこしらえました。下記ページをご確認ください。
(8)山形・左沢
敗戦直後、疎開していた伯母を頼って向かったのが山形。ここで地元のおばさんから『おしん』の原案となるお話をいろいろと聞かせてもらったわけですね。
再放送情報 連続テレビ小説アンコール「おしん」 連続テレビ小説100作放送を記念してあの「おしん」が帰ってくる! 【放送予定】… https://t.co/SnEc3xKwx9
— 渡る世間の片隅で (@watasumi_net) April 3, 2019
2019年にNHK連続テレビ小説『おしん』がBSプレミアムで再放送されて大ブレーク!
(9)早大入学
「早大に入学したころ」のお写真。当時の先生がモダンであったことが醸し出されている様相。
しかし映画関係者からも多くの戦死者を出していたから人材不足は深刻だった。そこで映画各社は大量の新人をほしがっていた。
先生が松竹に入社できた一因として戦争も影響していたわけです。
(10)就職
ある先生は「女に映画のホン(脚本)が書けるわけがない」「女のくせに映画の世界に足を突っ込むなんて」と面と向かって私に毒づいた。〈中略〉犬の散歩までさせられたので腹立ち紛れに犬を蹴飛ばしたら、それがばれて奥さんに大目玉を食った。
イヌや愛犬家の皆様には恐縮ですが。橋田壽賀子先生らしいかもなエピソード(笑)
(11)撮影所
小説を連載していた雑誌「少女」。ご縁があれば読んでみたいですね。
あと余談ではありますが、松竹ということで。いまさらながら山田洋次監督も橋田壽賀子先生の後輩なわけです。
山田洋次が“先輩”橋田壽賀子の名を冠した賞に感激、大泉洋は「観てない」に驚愕(写真30枚)https://t.co/YPRTnQRkgl
#大泉洋 #宮崎あおい #安住紳一郎 #橋田賞 pic.twitter.com/AkA0X17Vs7
— 映画ナタリー (@eiga_natalie) May 10, 2019
山田洋次監督と言えば、令和元年5月に第27回橋田賞を受賞されました。
(12)母の死
旅好きで一人旅を楽しむためにユースホステルを利用していた先生。当時としてはナウいというか最先端っぽいかも。
作家として食べていきたかった橋田壽賀子先生にとって、事務部門への異動は当然のことながら受け入れられなかったご様子。それでも松竹を辞めたことは、結果論としてテレビドラマに進出するよい機会に。
(13)テレビの時代
さりげなく演出家の鴨下信一さんとの出会いについても触れられましたね。
(14)「チチキトク」
全てが終わって父の遺骨を今治の菩提寺に持って行き、その女が付けた戒名とは別の戒名を付け直してもらって母が眠るお墓に納めた。
身内としては当然の対応だったかも。
(15)「東芝日曜劇場」
当時の石井ふく子プロデューサー、いかにもアクティブな雰囲気を醸し出している印象。
他方、先生は色んな意味でミステリアスな雰囲気にも。
石井さんと廊下ですれ違っても挨拶を返してもらえなかった。そのときも笑うでもなく真面目一方の話し方。「つまらない女」だなと思ったし、石井さんも私と長く付き合うつもりはなさそうだった。
ところがどっこい、軽く50年以上のお付き合いに発展した二大巨頭(笑)
石井さんにダメ出しされるうちに、映画時代に身についたものが少しずつ剥がれていき、テレビドラマがどういうものかぼんやりとわかってきた。
個人的には『石井ふく子はダメ出しばかり』(仮)で当時のお二人の物語を創作してほしいと願う昨今。
(16)もじゃもじゃ頭
「かいっちゃん」こと、ご主人・岩崎嘉一さんに対しては積極的にアプローチした先生の色恋沙汰物語。
入籍日の5月10日はTBSの創立記念日でもあり先生のお誕生日でもあり。ということで、色んな意味でTBSとのご縁は必然だった次第。
ちなみに、ご主人のプロデュース作品として『橋田壽賀子ドラマ・結婚』があります。
(17)亭主関白
「夫の口癖は『離婚だ!』だった」のお写真。それでもアツアツだなぁ(笑)
そして気になったのは。
①身近なテーマ
②展開に富んだストーリー
③リアルな問題点
この手のテーマで先生から講義を受けたいものです。
(18)「となりの芝生」
私は最初の3回で降板し、それ以来久世さんとは亡くなるまで口をきかなかった。
この記事は非常に興味深かったですね。
TBSの『時間ですよ』と言えば、よい意味でも悪い意味でも出演者のアドリブ任せのようなコーナーがあったわけで。
脚本で物語をがっちりと固める先生、対して『時間ですよ』における久世光彦さんの演出が合うわけがないことは明白。
ということで、早い段階で関係が決裂してしまった先生と久世光彦さん。実に惜しい。
(19)ドラマは家庭の中にあり
渡鬼などのホームドラマで、男性の登場人物はご主人の特徴、姑に関してはご主人のお母さんの特徴が随所に色濃く反映されているようです。
(20)一筋の光
「西田敏行さんの『おかか』が流行語に」のお写真。これはNHK大河ドラマ『おんな太閤記』のものではなくTBSの『橋田壽賀子ドラマスペシャル 旦那さま大事』のもの。
「旦那さま大事」で「うめ」役だったのが泉ピン子さん。育てた名馬を売ることで山内一豊に取り立てられたわけですが。無邪気で天真爛漫だったうめの笑顔が日経に掲載された写真にも描写されていたような。それと写真の背景に描写されたのぼり旗に「馬」の文字が入っていたので「旦那さま大事」の写真であることに気づいた次第。
まぁ同時期の作品でキャストも類似していたのでご愛嬌ですね(笑)
(21)宿願
小林綾子さんがオーディションに合格したこと、おしんがいかだで最初の奉公先に向かうシーンの撮影に関するお話など。
結果的に「おしん」がNHKで採用されたのも小林綾子さんが抜擢されたのも大正解。
【NHK名作座】『おしん』の少女時代を演じた小林綾子さんが語る!「川で洗濯をするシーン、雪解け水なので本当に冷たいんです。照明さんがライトを手にあてて温めてくれたり、気を遣っていただきました…」https://t.co/pVIPNecRYO
#小林綾子 #おしん #朝ドラ— NHKアーカイブス (@nhk_archives) November 8, 2016
(22)涙のロケ
しかし私はストーリーが影響を受けるのが嫌で、NHKに「評判は耳に入れないで」と頼んでいた。
当時は悪役はもちろん、作者であった先生も必死に戦っていたことを察することができます。
おしんの最初の奉公先で強烈なインパクトを醸し出した「おつね」役の丸山裕子さん。おしんに辛い仕打ちを施す一言一言の台詞回しが何とも絶品で、ただただ笑うしかない。実に素晴らしいパフォーマンスでした。
出典:NHK連続テレビ小説「おしん」第8回https://t.co/t7Fz6NmoU9 pic.twitter.com/YC4brretin
— 渡る世間の片隅で (@watasumi_net) April 12, 2019
そう言えば、最初の奉公先でおしんに厳しく当たった「つね」役の丸山裕子さん。
パフォーマンスが実に素晴らしかった。
(23)おしん症候群
「(23)おしん症候群」については別記事をこしらえました。下記ページをご確認ください。
(24)夫の遺志
退職してから、夫は三番町のマンションを事務所に「岩崎企画」という制作プロダクションを立ち上げた。その年、古巣のTBSで私が脚本を書いた「大家族」という全13話の連続ドラマをプロデュースする。
ご夫婦で取り組まれたTBSドラマ『大家族』。
BS-TBSとかで再放送してもらえると有難いですね。
お金はすべて夫が管理し、私は銀行口座さえ持っていなかったし、遺産相続前なので無一文だった。
この辺のお話は浮世離れポイントが高いかも。超売れっ子の脚本家の先生が自分名義の口座を持っていなかったなんて。何だか驚きですね。ご主人が信頼できるよい人だったからこそ、財産管理をすべて委ねていたのでしょうけど。
(25)財団設立
「(25)財団設立」については別記事をこしらえました。下記ページをご確認ください。
(26)「渡鬼」
「(26)『渡鬼』」については別記事をこしらえました。下記ページをご確認ください。
(27)「春日局」
私への依頼は、ある有名作家の明治を舞台にした原作を脚色してほしいとのことだったが、私は原作物は書かない主義を通してきた。そのことを話すと、NHKの方もわかってくださった。
このことも先生が「橋田壽賀子」である所以。並の人間ではまず通らないし、理解されずに話がよそに行ってしまうかもな言い分。
3作目の大河は89年の「春日局」だった。〈中略〉結果は大河ドラマ歴代視聴率3位。夫には感謝しかない。
先生、ただただ凄い。
もしご主人が長生きされていたら、先生の陰ながらの軍師として大いに手腕を発揮されたに違いない。ただただ惜しい。
(28)忠臣蔵
先生が手がけた『女たちの忠臣蔵「いのち燃ゆる時」』と『源氏物語』。
どちらも石井ふく子プロデューサーと鴨下信一監督の作品で、出演者がとにかく豪華絢爛!
まずは「女たちの忠臣蔵」。1979年の作品ということで、当時はまだ泉ピン子さんがキャストに入っていなかったのが気になりました。
続いて「源氏物語」。1991年の作品ということで、渡鬼第1シリーズで活躍された香川照之さんと藤田朋子さんもキャスティングされていたのが興味深いところ。その後、藤田朋子さんに関しては、メインキャストとして長きに渡って渡鬼にご出演。香川照之さんに関しても、先生や石井ふく子プロデューサーの作品に再び出演されることを願いたい。
遠山昌之とその娘・遊と一緒に撮った写真を眺める長子、そしてオルゴール調な渡鬼BGM。どこか乙女チックな長子を演出。#長子の想い出
出典:TBS渡鬼第1シリーズ最終回スペシャルhttps://t.co/bFyehY1ASi pic.twitter.com/nfeAM5vc7b
— 渡る世間の片隅で (@watasumi_net) December 11, 2018
(29)移民物語
先生が手がけた『ハルとナツ~届かなかった手紙~』と『99年の愛 ~JAPANESE AMERICANS~』。2作品とも渡鬼には登場されていない大女優が出演されました。
まず「ハルとナツ」には野際陽子さんが出演されました。橋田壽賀子ドラマに野際陽子さんがキャスティングされたのは稀有かもしれません。是非ともNHKで再放送してほしい作品です。
続いて「99年の愛」には八千草薫さんと岸恵子さんが出演されました。
ちなみに、八千草薫さんに関してはTBSの『女の言い分』という先生と石井ふく子プロデューサーの作品に出演されています。それでも橋田壽賀子ドラマへのご出演はやはり稀有かも。
人は人を殺してはいけない。だから私は殺人事件をテーマにしたドラマを書いたことがない。
揺るがなかった先生の信念。だから「橋田壽賀子ドラマ」は安心して観ることができた。
(30)2つの腕時計
「(30)2つの腕時計」については別記事をこしらえました。下記ページをご確認ください。
まとめ
日本経済新聞朝刊の「私の履歴書」に橋田壽賀子先生が令和初の筆者として登場されたので特集してみました。
改めて橋田壽賀子先生の文章表現力には只々脱帽なわけです。
大きな反響を呼んだ日経新聞連載「私の履歴書」の書籍化!
第27回橋田賞授賞式に出席された橋田壽賀子先生https://t.co/HCOA9sj8l0
— 渡る世間の片隅で (@watasumi_net) May 10, 2019
とにかく「おしん」が再放送されて大ブレークな橋田壽賀子先生の令和元年。