NHK大河ドラマ『おんな太閤記』第二十回「秀長の祝言」で、倉野章子さんが扮した、おふくの特集です。
第二十回「秀長の祝言」の概要
秀吉は三木城を攻略して長浜に凱旋し、堺の豪商などを招いて茶会を催します。さらに、ねねは一族や家臣に別席を設けていました。それは、ねねとなかで考えた、秀長としのの祝言の席です。しのは三木城の兵糧攻めで失明していました。秀吉はしのの嫁入りを許さないと激怒しますが、ねねとなかに脅され言いくるめられて、2人の結婚を認めます。その後、秀吉は鳥取城を落とし、天正10年(1582)、備中高松城を水攻めにします。
倉野章子さんのクレジットタイトル
おふくの一幕
秀家殿の御父上のこと
姫路でなんぞ?(ねね)
ああ。秀家殿の御父上の病が重い。(秀吉)
宇喜多直家殿が!(ねね)
ああ(秀吉)
でも、秀家殿は上様から御預りした大事な人質。たとえ、御父上が御病気とて勝手に連れていかれては。(ねね)
宇喜多がやばくなってきたね
安土へ寄ってのう、上様に御許し頂いてきたわ。また、宇喜多の家督を相続できるようお願いもしてきた。(秀吉)
まあ、それはよろしゅうございましたな。では、秀家殿は晴れて備前へ御帰りになるのでございますな?(ねね)
ああ。備前岡山の立派な御城主よ。(秀吉)
秀家が宇喜多家の相続を認められたみたい
翌日、ねねは秀吉、秀家と共に、慌ただしく長浜を後にした(語り)
ねねの岡山遠征
筑前殿を父上と思うて
おそらく、意図的に薄暗くした岡山城
秀家か。大きゅうなったのう。(直家)
死の床に臥せった直家
長浜では御方様にそれは可愛がっていただいたそうにございます(ふく)
おふく初登場
ねね殿、御礼の言葉もござらぬ(直家)
あまりにもよい御子故、まことの子のような気がいたしまして。私も秀家殿の為にどれだけ慰められたか知れませぬ。(ねね)
子=慰め≒愛玩動物
筑前殿。秀家はまだ若年。筑前殿の御力なくば宇喜多の家を守ることはかなわぬ。くれぐれも秀家のこと。(直家)
筑前、直家殿が我らが御味方くだされたこと、終生忘れませぬぞ。筑前の力の及ぶ限り、秀家殿を盛り立て直家殿の御意志を継がれるよう。(秀吉)
秀吉、宇喜多には結構律儀だったね
かたじけない。秀家。(直家)
はい(秀家)
筑前殿を父上と思うて(直家)
セリフを言い終えたタイミングで息をひきとった直家
はい。父上!(秀家)
御前様!(ふく)
梟雄の最期を見とどけた、ねねとか
直家殿の御方様が何故
岡山から姫路にやってきた、ねねに秀長がチクる
直家殿の御方様が何故、秀吉殿の側室になられるのか?(ねね)
ねねの悋気(りんき)注意報発令!
秀家殿は何と言ってもまだ御幼君。兄者がそのつもりなれば、宇喜多を討つなど赤子の手をひねるより容易でございます。(秀長)
秀吉殿がそのようなことをなされる道理がないではないか!(ねね)
秀吉からすれば、宇喜多を配下にしておけばよいわけだから。なにも宇喜多を討つ必要はなく。
義姉様、世は乱世。兄者に裏切るつもりがなくとも、信長様の御心は知れませぬ。今は宇喜多の所領を安堵なされているが、いつどんなことになるか。宇喜多の家臣が疑心暗鬼になったとて不思議はありますまい。そのような憂き目を嫌というほど見てきておるのです。戦乱の中で、御家を守るために兄者に人質を差し出し、兄者にすがるよりほかに道はないのじゃ。(秀長)
信長は配下の疑心暗鬼をあおる
その人質に直家殿の御方様が(ねね)
御家を思う家臣たちの知恵。おふく様も承服なされた由にございます。(秀長)
おふくは承服
秀吉殿はお受けなされたのか?(ねね)
秀吉としては結構ウェルカムだったりして(笑)
たとえ乱世の習いとはいえ、儂には納得できませぬ。おふく様は御子息、秀家殿の為、また宇喜多の家の為にと目をつぶられても、義姉様の御気持ちを思うと。(秀長)
おふく様とてどのようにお辛いことか(ねね)
いや、おふくが秀吉の側室になることを、ねねが単純に嫌っているだけ(笑)
義姉様。義姉様から兄者に思いとどまるよう。儂が言うても聞いてはくださらぬ。(秀長)
それでは私が言うても。そういう御方じゃ、秀吉殿は。(ねね)
秀吉の厄介なところ
私に尼になれと?
ねねは密かに備前の岡山城に向かった。おふくに会うためである。(語り)
直家葬儀の折には、いろいろと御心遣いいただきまして(ふく)
おふくが三つ指を披露
御心労、御察し申し上げます(ねね)
何と申しましても秀家は若年。先のことが案ぜられまして。(ふく)
今日伺いましたのは、そのことも気になりました故(ねね)
おふくが側室として、正室のねねとうまくやっていきたい気持ちが何となく現れていた様相にも。
あ、女子の私がこのようなことを申し上げるのは差し出がましいこととは存じますが、おふく様に出家をお勧めしたいと思いまして。(ねね)
私に尼になれと?(ふく)
爆笑!ねね、本当に差し出がましい
仏門に入られた方を御家中とて筑前とて、よもや側室にとは申しますまい。(ねね)
ねね様は何もかも御承知で(ふく)
おふく様の胸中、いかばかりかと(ねね)
いや、おふくは承服しているから(笑)ねねの胸中の方がいかばかりかと
私の身はどうなりましょうと、もう覚悟はいたしております。ねね様の御心遣い、ありがとうはございますが、それよりほかに秀家や宇喜多の家を救う道は。今更、尼になるわけにはまいりませぬ。(ふく)
おふくが尼になることを拒否った!(笑)
ならば秀家殿を私に、羽柴の家の子としていただくわけにはまいりませぬか?秀家殿御成人の暁には、必ず宇喜多の家の御世継ぎとして私が御守りいたします。(ねね)
はっ(ふく)
ねねの次の一手
上様とて筑前の養子をないがしろにするわけにはまいりますまい。私を信じて私に御任せくださいませ。(ねね)
ねね様(ふく)
お聞き届けくださいますか?(ねね)
是が非でも、おふくが秀吉の側室になるのを防ぎたかった、ねね(笑)
二夫に見(まみ)ゆるは女子の恥。直家殿亡き後は、心静かに菩提を弔う所存でございました。尼になり、女子の操を通すことができますのなら本望でございます。また秀家を、ねね様に御守りいただけますなら。(ふく)
二夫に見(まみ)ゆるは女子の恥って。おふくって、秀吉で三夫目じゃないの??この点が少し引っかかったので、後の項で大雑把に考察してみます。
おふくが直家一筋だったなら。秀吉から女の操を守る発想はありだと思うけど。
いえ、御子に頂いても御養育はおふく様に(ねね)
なんだか、橋田先生がつじつまを合わせてきた様相にも(笑)
秀家殿とて、まだ母親の恋しい御年頃。尼としておそばでお仕えなさいませ。(ねね)
ねね様(ふく)
橋田先生、母恋が癖になってきてる(笑)
渡鬼では加津の「母恋い」が書籍になったりと
おふく様や秀家殿のためだけではございませぬ。これで私も救われます(笑)秀吉のおかかのやきもちと御笑い下さいませ。(ねね)
ねねが自分の悋気をやっと白状した(笑)
まあ(ふく)
「まあ」としか言いようがなかった、おふく(笑)
これは女子と男の戦にございます。男の思うままにされて黙ってはおられませぬ。女子同士、腹を合わせて戦いましょう。(ねね)
まあ(ふく)
兎に角、秀吉の御内室に対してリアクションが控えめだった、おふく(笑)
おふく殿が尼に
おふく殿が尼になられた(秀吉)
まあ、それは御殊勝な。女子の命は操にございます。見上げた御心ばえでございますなあ。(ねね)
白々しく、開き直った、ねね(笑)
おかかの差し金じゃろ。秀家殿を養子にすると約束したそうな。まことか?(秀吉)
はい。秀家殿は人質として私が何年か手元でお育ていたしました。あのような御子がいたらと思っておりました故、たってと、おふく様にお願いいたしました。成人なすったら、きっと御前様のよい御味方になられましょう。これからはどんどんご養子をお迎え遊ばされて、羽柴の家の子としてお育ていたしとうございます。子は多ければ多いほどいいものでございます。私も楽しみができました。(ねね)
しのと秀長の祝言もそうだったけど。兎に角、既成事実をこしらえてしまうのが、ねねの手法。
おかか。おかかも強かになったのう。(秀吉)
はい(ねね)
御前様にお仕えして利口になりました(ねね)
儂より一枚も二枚も上手(うわて)じゃ(笑、秀吉)
兎に角、豊臣と宇喜多はwin-winの関係になっていったわけだから。よかったんじゃないのかな。
二夫に見(まみ)ゆるは女子の恥
おふくが尼になることを受け入れたときに発した「二夫に見ゆるは女子の恥」とか「女子の操」とかが気になった点です。
おふくが秀吉の側室になったら、秀吉で三夫目じゃないの??ってこと。
TBSCS:大型時代劇スペシャル「愛に燃える戦国の女」−豊臣家の人々より−
7/20土午前11:00出演:三田佳子 役所広司 山城新伍 篠田三郎 野村宏伸 中田喜子 赤木春恵 手塚理美 小川範子 上村香子 本阿弥周子 森尾由美 葉山葉子 可愛かずみ 坂東八十助 竹中直人 西田敏行 ほか【ナレーター】森光子
— 渡る世間の片隅で (@watasumi_net) June 13, 2019
参考になるのが、TBS『大型時代劇スペシャル「愛に燃える戦国の女」−豊臣家の人々より−』で、おふくが主人公です。
ちなみに、石井ふく子プロデュース作品ですが、橋田壽賀子ドラマではありません。
随分前に視聴してから最近はめっきり見てなかったので、改めてストーリーを確認してみたくなりました。
というわけで、このドラマの概要を番組の公式ページから引用しました。
永禄12年(1569年)秋。おふく(三田佳子)の波乱の人生は、高田城落城の日から始まった…。
尼子勢に城を攻められ、三浦貞勝(役所広司)の妻・おふくは侍女・梢(中田喜子)と息子・桃寿丸を連れて辛くも脱出するが、貞勝は行方不明に。岡山に逃れたおふくは、宇喜多直家(山城新伍)に救われる。やがて直家の強引な愛を受け入れ、彼の妻となり息子・八郎を出産した。その八郎が8歳になったとき、羽柴秀吉(西田敏行)が台頭し、八郎は人質に取られてしまう。傷心の直家は以後、病床に伏せるが病のことが外部に漏れぬよう口止めした。1年ほどして秀吉は、八郎を“秀家”と名乗らせ、養子にすることを直家に約束。まもなく直家は死んでしまうが、戦乱の世にあっては城主の死を公表できず、おふくは二人目の夫の葬儀もできなかった…。その後、織田信長が本能寺で討たれ、世は豊臣秀吉のものに。おふくは秀吉の側室として、大阪城内に引き取られる。
おふくの夫について、このドラマだと。
になっていました(笑)
史実のことはあまり詳しくありませんが。
NHKおんな太閤記に関しては、単純に橋田先生が自己満足として「二夫に見ゆるは女子の恥」とか「女子の操」とかを台詞化したかっただけかも(笑)
週刊おんな太閤記随想、第二十回「秀長の祝言」
週刊おんな太閤記随想
おふくに関する他のドラマ
倉野章子さんって、どんな人?
文学座の座員さんです
角野卓造さんのおかかでもあります
#角野卓造 8月10日生、東京都出身、文学座・俳優。1972年に東横劇場『飢餓海峡』で初舞台。以降、役者として数多くの名作で活躍。橋田壽賀子・石井ふく子作品では、TBS『女の言い分』などに出演。渡鬼・勇役。#今日は何の日 #渡鬼人物録
画像:NHK大河ドラマ『#おんな太閤記』第七回「上洛への道」 pic.twitter.com/9lmRK5ytBG
— 渡る世間の片隅で (@watasumi_net) August 9, 2020
ご夫婦ともにNHKおんな太閤記にご出演されたわけです。