NHK大河ドラマ『おんな太閤記』第十五回「秀長の恋」で、沢田雅美さんが扮した南殿こと、千種の去(い)ぬりを特集してみました。
第十五回「秀長の恋」の概要
長男・秀勝が死に、母親の千草は城を去ります。寂しい秋風が吹く長浜に、播磨調略を任された秀長から嫁にしたい女性を連れ帰るという手紙が届きます。その女性は、しのという足軽の娘です。ねねとなかは喜びますが、秀吉は秀長にふさわしくないと猛反対します。秀長は珍しく秀吉に抵抗しますが、しのは黙って長浜を去ります。一方、調略に応じた小寺(黒田)官兵衛の嫡男・松寿丸を人質として長浜城で預かることになりました。
沢田雅美さんのクレジットタイトル
去(い)ぬらせていただきます
秀勝ー!秀勝(千種)
第十四回で秀勝が落命した時の千種の叫び声。敢えて、冒頭の回想として使ってきましたね。
天正四年秋、秀吉の嫡男、秀勝の突然の死は、長浜城をねねの胸を秋の嵐のように吹き抜けた。千種と秀勝を迎えて一年半、今は幸薄かった秀勝も、その母の千種も、ねねには哀れでならなかった。(語り)
早いもの、もう四十九日過ぎたとは。あまり思い詰められると御体に障ります。たまには気晴らしに、町にお出かけになってみたら。(ねね)
こうした橋田先生がこしらえた世間話の出だしとかね(笑)
秀吉様は御方様に私のことは、どう?(千種)
別に何も。気にすることはありませぬ。いつまでもここにおられたらよいのじゃ。何なりと私に言うてくだされ。御不自由はおかけいたしませぬ。女子(おなご)は女子同士ではございませぬか。なあ?(ねね)
ほんと、秀吉の側女の世話人に徹しようとした御内室のねね(笑)
不憫の千種に不自由をかけない、おなご目線を大切して止まない、ねねの心意気が橋田先生によって描写されました。
おお、見事な紅葉(こうよう)じゃ。千種殿、ほら御覧なされませ。(ねね)
こうした世間話的の台詞でワンクッション挿し込んだ橋田先生とかね(笑)
御方様。私は秀吉様にはもう用のない女子(おなご)。分かっております。(千種)
千種殿(ねね)
秀吉様からも暇(いとま)を出されました(千種)
用のない女子は御暇を出される。これはこれで、おなごにとっては厳しい戦国の世。
秀吉殿が何を言われたか知りませぬが、私には。七年という長い歳月、殿にお仕えなされたのではございませぬか。今になって、そのような。私にはできませぬ。私がついております。たとえ、秀吉殿とて私がそのようなことは許しませぬ。大きな顔をしてここにおられたらよいのじゃ。うん?(ねね)
ありがとうございます。私のような女子(おなご)を。でもやはり、ここを去(い)ぬるのが。(千種)
千種殿(ねね)
秀勝健在時の千種は態度が非常に悪かった。そういった千種に対して、秀吉が内心では好感を持てなかったのも道理。故に、秀勝が逝ったことで秀吉と千種の縁が切れるのも必然。
そうだとしても、千種が長浜を去るのは道理に反しませんか?っていうのが、ねねの気持ち。ほんと、千種は御内室に非常に恵まれていた様相にも。
私は随分と、御方様にはひどい仕打ちを。それは誰よりも私が一番よう知っております。(千種)
過ぎたことではありませぬか(ねね)
あれだけ千種から酷い仕打ちを受けたのにね。なんなんでしょうね、ねねのヒロインパワー(笑)過ぎたことで済ましちゃってるから。
いえ、私の気が済みませぬ。それに、秀吉様の御心も、もうとうに私から離れてしもうておられます。未練がましいことだけはしとうございませぬ。
長い間のわがまま、どうぞお許しくださいまし。今日限り、去ぬらせていただきます。(千種)
最後は物分かりがよくなった千種とかね。あれだけ厚顔無恥だった千種が最後には首(こうべ)を垂れて謝罪したわけですから。悪態三昧で一気に憎まれ役として急成長させて、イベントが起こったら一気に下げる。橋田先生、本当に御見事です。
出ていくと言うて、どこへ?そなたには身内がないと伺っております。無謀なことだけはなされますな。(ねね)
(笑)京でも独りで何とか生きておりました。また元の暮らしに戻るだけのこと。ご案じくださいますな。(千種)
千種殿(ねね)
千種って公家だったんだよね。だけど、身寄りがないってどういうことなんだろう??千種の素性の説明が足りなかったかもね。
人の哀れみや情けを受けるよりも、自分の力で生きる道を選びとうございます。御方様の温かい御心、千種、生涯忘れは致しませぬ。(千種)
自分の力で生きる道を選んだあたり、橋田先生の意向が色濃く反映された様相にも。
それと、秀勝が急変した時には、ねねに魅せられまくった千種ですから。ねねに感謝したい千種の気持ちには説得力があります。
では、どうしても?(ねね)
御世話になりました。戦乱の世、明日のことは分かりませぬ。御方様もどうか御達者で。(千種)
最後は乱世を絡めてきたね、橋田先生。
それにしても、厚顔無恥と殊勝のコントラストが絶品だった千種の刻。
去ぬり雨
そしてすぐさま、去ぬりの刻。
それでは千種が長浜城を去ぬった時の御供の者たちに注目してみます。
去ぬりの御供の者たち
ねねの配慮によって、合計七名の供の者が付きました。
じゃがのう、ねねの力ではどうにもならなかったのが天候。
画像でも、手前の葉っぱが濡れだしたのがよくわかります。
降り出したばかりだとはいっても、いまさら城内に戻るわけにもいかない状況。あの時代だって、今日は天気は悪いとか、そのくらいは予測ついたでしょ(笑)出立日をずらす配慮とかが欲しかったかも。じゃがのう、橋田先生はそれを断じて許さなかった(笑)きっと、千種の去ぬりは雷雨って決めて遊ばされていたんでしょうね。
兎に角、雨に濡れずに済みそうなのは、輿に乗っている千種だけ。供の者たち、蓑とかの雨具なしで何だか可哀想。護衛と輿持ちの殿方たちは別としても。侍女二人は京に着いてからも、千種の御世話係を担うわけでしょ、おそらく。ほんと、ついてませんね(笑)
千種が長浜に迎えられた時は
ついでに、長浜城に到着した当時の千種の御供の者たちについても振り返ってみます。どんな感じで秀吉が千種に配慮していたんでしょうね。
秀吉の配慮によって、合計十名の供の者が付いていました。
去ぬりに比して、迎えられた時は、先頭の殿方と侍女が一人ずつ多く、おそらく最後尾で護衛を担当した殿方も一人付きましたね。
寸評
こうして比較してみても、去ぬる千種に不自由をかけたくなかった、ねねの心遣いが情景から何となく読み解くことができます。
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週刊おんな太閤記随想
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