NHK大河ドラマ『おんな太閤記』第十七回「乙御前の茶釜」において、橋田壽賀子作品ならではだったことをあれこれと随想してみました。
第十七回「乙御前の茶釜」の概要
天正5年(1577)、秀吉は謀反を起こした松永久秀を滅ぼし、中国攻略を押し進めます。三木城主・別所長治が調略に応じ、秀長は三木城で侍女になっていたしのと再会します。その年の暮れ、信長はねねの内助の功をねぎらう宴席を設けて、秘蔵の乙御前(おとごぜ)の茶釜を秀吉に与え、茶会を開くことを許します。その宴席でねねは信長の四男・於次(おつぎ)丸と出会い、羽柴の跡継ぎにしたいと信長に願い出ます。
千宗易が秀長を気に入った理由について、説明的台詞が足りない
秀吉の名代として、千宗易に銭を借り行った秀長の情景。結局のところ、千宗易が秀長を気に入ったのか、銭を貸すことに快く承諾した流れ。
じゃがのう、ここで気になったのは、橋田先生の史実的伏線アピールが強過ぎた反面、千宗易が秀長のことを気に入った理由が具体的に説明されていなかった点。
それでは、千宗易と秀長の台詞を改めて洗ってみます。
本来ならば、兄筑前が参上致すべきところではございますが、播磨出陣中故、私が名代にてお願いに上がりました。何卒よろしゅうお計らいくださいますよう。(秀長)
筑前殿とは、信長様の御使者として何度も御目にかかっております。御人柄もよう。(千宗易)
初対面としての社交辞令を済ませた秀長。
強いて言うなら、秀長が礼儀をわきまえている。
実に申し上げ難きことながら、先般筑前、信長様の御勘気に触れ、蟄居申し付けられてございます。その間、信長様の謀反の心無き証しにと、蓄えておりましたものを全て使い果たしてございます。(秀長)
なるほど。銭が無うては謀反の戦も起こせぬ道理。信長様も御納得なされたでございましょう。(千宗易)
おかげをもちまして信長様の御勘気も解け、播磨出陣と相なりましたが、さしあたって、備えに入り用な物にも事欠く始末。御迷惑とは承知、こうやってお願いに上がった仕儀にございます。(秀長)
なるほど。流石の筑前殿もお困りでございましょう。(千宗易)
宗易から「なるほど」が二回(笑)今回訪問の趣旨に関する秀長からの説明が分かりやすかった様相。
此度の出陣には、播磨一国切り取り勝手との御許しを信長様より頂いております。(秀長)
ほう。それでは筑前殿は北近江のほかに播磨をも領せられる大大名におなりなされるのでございますな。(千宗易)
宗易にとって、大大名の秀吉は取引先として魅力的でない道理がない。
とはいうても、後ろに毛利の控えておること。先のことはどうなることやら分かりませぬ。もしもの場合、返済おぼつかぬ仕儀になりかねませぬ。その時の為にこれを持参致しました。商人(あきんど)の間では貸し借りの折、必ずそれに見合う抵当(かた)というものを入れるのが習わしと聞いておりますが、長浜十二万石というても、信長様より御預りしておりますもの。播磨とて見通しはつかず、今の筑前は裸同様、めぼしいものとてございませぬ。それゆえ、思いあぐねまして。(秀長)
宗易が秀長を気に入った理由は、商人の習わしを尊重したからか??
貴方様の御命を借金の抵当になさるとおっしゃいますか(千宗易)
はい。お返しできぬ仕儀に相なりました時には、せめて御詫びに腹かき切って相果てる所存にございます。(秀長)
現代のような死亡保険があるわけでもなく、商人にとっては秀長が切腹したところで何の儲けにもならない。
よろしゅうございましょう。貴方様の御命と引き換えなれば、宗易、これほどの銭惜しいとは思いませぬ。(千宗易)
それでは!(秀長)
銭は惜しゅうございませぬ。しかし、貴方様の御命を頂くのは誠に惜しゅうございます。貴方様には末永う生きていただいて、宗易、親しく御付き合いをさせていただきとうございますな。いやあ(笑)勝ち戦をお祈り致しております(千宗易)
宗易殿(秀長)
要するに、宗易としては銭は惜しくないから、返済が難しくなっても秀長の切腹を要求しない方針らしい。
やはり商人として、大大名の秀吉並びに弟の秀長を相手にして、銭を儲けたい意向を橋田先生が描写したかったのか??
いや、それにしても筑前殿は立派な弟御をお持ちじゃ。筑前殿に貴方様がおいでになる限り、御武運の尽きることはございますまい。(千宗易)
秀長と千宗易との親交は、秀長が世を去るまで続いた。二人の協力が秀吉の天下統一に、またその後の治政に大きな役割を果たすことになるのである。(語り)
一連の礼儀正しい秀長の振る舞いが、宗易のハートを射止めたのか??
それにしては、橋田先生による史実的伏線が主張し過ぎた印象(笑)故に、なぜ宗易が秀長を気に入ったのか、台詞を通して説明の補足がほしかったところ。
三木城内で秀長が改めて、しのに告る
しのと秀長の色恋沙汰、それも三木城内にて再び(笑)無論、橋田壽賀子作品ならではですね。
というわけで、別記事で詳しくご紹介します。
姉の小姑が、ややの安土行きを阻む
正月に夫の浅野長政がいる安土行きを秀吉から許された、ややに対して。
大きな壁として立ちふさがった、ねねの小姑たち。
厄介で面倒くさい小姑を橋田先生がダイナミックに描写していましたね(笑)
このあたりも、別記事で詳しくご紹介します。
ねねが茶の湯に疑問を呈する
茶の湯というものは、千利休の時代から現代に至るまで継承されてきた、わびさびの文化。
令和の世においても、茶の湯は特定の文化人に愛されている様相。
そう、特定の文化人に。
故に、茶の湯に興味がない人(ねね)にとっては、茶器の価値がわからないのも道理。
そんな特定の人とそうでない人の意識の違いをクローズアップして滑稽に描写したのが、ねねの素朴な疑問。
まあ、御前様。でも、どうしてこのような釜がそれほど有難い。(ねね)
触れるな!(秀吉)
あっ!えっ(ねね)
いや、大事に大事に扱わねば(秀吉)
武士であれば領地、百姓にとっては米が大事だった時代。
ねねにとって、やはり茶器は具体性に欠けた存在にも。
私には分かりませぬ(ねね)
乙御前の茶釜というのはのう、世に聞こえた名器じゃ。信長様秘蔵の茶釜じゃ。儂もこのようなものを頂いて、とうとう茶の会を催すことができるまでになった。大したものよのう。(秀吉)
茶の会を開くことが、それほど御出世なのでございますか?(ねね)
当り前よ。御許しを頂いている武将も数えるほどしかおらぬわ。儂もその一人に加えられたのじゃ。もう、押しも押されもせぬ信長様一の家来じゃ。柴田勝家、丹羽長秀、明智光秀とも肩を並べる家臣じゃ(笑)前田利家様とて御許しいただいておらぬものを儂はとうとう許された。(秀吉)
ただ、茶をたてることがでございますか?(ねね)
そうじゃ(秀吉)
秀吉が語っていたのはステータスや階級のことでしょうね。
じゃがのう、そういった秀吉の説明に対して、ねねが容易に理解しない展開に。いや、理解させない橋田先生の組み立てにも(笑)
どうして茶の湯がそれほど(ねね)
茶の湯というものはのう(秀吉)
はい(ねね)
つまり、いや、おかかに話しても分からぬわ。実はのう、儂もよう茶の湯のことは分からんのよ。要は、信長様が大事にされておるものは、我らにとっても大事じゃということじゃ。(秀吉)
兎に角、秀吉は信長第一主義。ただそれだけ(笑)
故に、ねねには分かりづらかった様相。
ねねからしてみれば、茶器よりも、雑炊をこしらえるための土鍋とかの方がよっぽど大事。
それでは(ねね)
あー、難しい話はもうやめじゃ!せっかくおかかと二人きりになったのではないか。さあさあ、おかかも飲め。(秀吉)
秀吉、根気が消耗してギブアップ(笑)
この一幕で、橋田先生の着眼点というか、御性格が手に取るようにわかります。
ほんと、橋田先生ったら(笑)
於次丸のことで、ねねがもったいぶった素振りで秀吉を弄ぶ
信長から於次丸を養子として頂戴するために、再び安土城に参上した、ねね。
そして。
(笑)ねね。そちに於次を遣わそう。そちなら於次を愛おしんでくれよう。於次はのう、母親の愛を知らずに育った子じゃ。そちを母に持てば、於次も幸せというものよ。(信長)
ははあ(ねね)
何とか信長から於次丸を養子として頂戴できることになった、ねね。
結果を心待ちにしていた秀吉にすぐに伝えてあげたらよいのに。
ねねが秀吉にすんなりと伝えることを許さなかったのが橋田先生の妙技(笑)
おかか!お願いしたか?おかか!お願いせなんだのか?おかか!おかか!おかか!そうか、駄目か。おかか。(秀吉)
如何にも於次丸を養子にもらえなかったかのような、ねねの醸し出し(笑)
劇中にて、秀吉を弄ぶ佐久間良子さんのパフォーマンスが光りました。
どちらかと言えば、演出効果が大きかった様相ですが。
佐久間良子さんと西田敏行さんの息もぴったり。
そして。
於次丸様を私どもへ(ねね)
下されたのか?(秀吉)
はい(ねね)
そうか!下されたか!おかか、手柄じゃ手柄じゃ!そうか!(秀吉)
ねねが一芝居を放った後、やっと秀吉に喜びの瞬間が!
橋田先生の遊び心が際立った一幕でしたね。
次回に続く
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