NHK大河ドラマ『おんな太閤記』第九回「秀吉生還」における橋田壽賀子脚本らしかった部分をあれこれと随想します。
第九回「秀吉生還」の概要
NHKオンデマンドの場合
浅井長政の寝返りで織田軍は退却し、殿(しんがり)の秀吉は消息不明です。ねねは心配な毎日を過ごします。義妹のきいも、夫の弥助や兄たちの身を案じて、尾張の中村から出てきました。まもなくして、秀吉が命からがら逃げ帰りました。しかし、信長は岐阜へ戻って体制を立て直して、1か月後には姉川の合戦で浅井・朝倉軍を打ち破ります。信長は引き続き、比叡山を焼き討ちにし、女子供を含めて大勢の人々を殺害します。
男はみんな大戯け
なかに関しては、二言目には戯け(笑)
昭和の男社会の中で、おんな脚本家を先駆けてきた作者だからこそ。脚本の中でストレス発散をしない法はない(笑)
男はみんな大戯けじゃ、だって(笑)公然と劇中にて男差別というか男批判に走るところが橋田先生らしい(笑)
手洗いよりも足のすすぎが大事
こうした足のすすぎに関する台詞を取り入れるあたり、さりげなく橋田先生らしいかも。
何故かと言えば。
NHKおしんなんかでも、田中おしんが兄・庄司の所へ金の無心から帰って来た時に足をすすぐ情景がありましたね。
もちろん、NHKおんな太閤記でも、主に中村の情景で足をすすぐ登場人物が描写されていましたね。
歩いている分には手が泥に触れることは少ないと思いますが、履物が草鞋だと、足が泥とかで汚れない道理がなかったのでしょう。
昨今であれば、感染症対策で手洗いは常識の様相を呈してきましたが。履物が充実していない時代においては、むしろ足のすすぎを重んじる方が常識レベルだったのかも。
「てておや」のいない子供
私は間違うていた。弥助さあを侍なんぞにしたばっかりに、孫七郎を父親(てておや)のいない子供にしてしもうた。(とも)
古くから関西の方で、父親のことを「てておや」と表現していたみたい。古い順で、てて→とと→ちち、みたいな。
そういえば、橋田先生も関西生まれだった気がします。
ちなみに、後の世の渡鬼でも「父親のいない子供にはしたくない」とか「父親のいない子供にしてはいけない」的な台詞が結構あったような気がします。流石に「てておや」とは言っていなかったと思いますが(笑)
布団の取り合いが舞台の一幕っぽい
もう寝る!おかか、中村へ行こう。のう、中村へのう。(秀吉)
この情景は作者の期待通りに演者がこなしてくれた様相にも。
佐久間良子さんと西田敏行さんの息もぴったりでしたね。絶品の一幕でした。
作者が舞台脚本も得意としていくのは、その後の実績からも明らか。
殿方に愚問を唱えさせる
儂を恨んでおろうな(長政)
ほんと、橋田先生は愚かの殿方を表現することに長けていない道理がない(笑)こういう言葉って、言っている側の御戯れにしか聞こえないかも。だから、なかに「男はみんな戯け者じゃ」って耳に胼胝(たこ)ができるくらい言われてしまうのさ(笑)普通にお市の立場からしたら、返答に困るでしょ。
まー、なんて優等生の台詞ざましょ(笑)無論、こうしたことを、お市に言わせたいが故に、長政に愚問を唱えさせているわけです。ほんと、橋田先生は策士ですね(笑)
戦の結果は後日談にて
浅井・朝倉が姉川で敗れた(義昭)
もちろん、主要キャストが戦で奮闘する情景が決してないわけではなく。
例えば、金ヶ崎の退き口における秀吉隊の戦闘シーンとか。
しかしながら、姉川の戦いについては、主だったキャストの戦闘シーンが描写されることはなく。
勝敗の結果を視聴者に発表したのは、なんと義昭(笑)
確かに、戦国時代の戦闘シーンを克明に描写することについて、もしかしたら作者にとっては酷だったのかもしれませんね。
んがしかし、橋田先生の脚本力なのか、制作の力なのかはわかりませんが、槍で突くのではなく、槍を上から叩き下ろすという本来の槍の戦い方はしっかりと描写されていましたからね。
このあたりは静止画の弱点であり(笑)
兎に角、戦闘シーンよりも、登場人物の会話の方が、作者にとって表現しやすいのは言うまでもないこと。
家康を盛るのが時期尚早
儂も家康殿は恐ろしい。家康殿だけは敵には回しとうないのう。(秀吉)
橋田先生、やっちゃったね(笑)
姉川の戦いで家康に武功があったみたいだけど。家康を盛るのが史実的にも時期尚早過ぎるよね。まだまだ、信長が信玄とか謙信公に媚びを売っていた時代さ。んが、家康が恐ろしいとか、敵に回したくないとか、変だよね(笑)この後、史実的にも、家康は三方ヶ原で信玄に大敗して人生最大の失態を馬上で披露するわけだし(笑)
確かに、今のうちから家康のことで種を蒔いておきたかった作者の気持ちもわからないではないけれどね。史実的にも、秀吉は最期まで家康に脅威を感じながら波乱万丈の一生を終えたのであろうから。故に、作者の中で家康を重んじるあまり、史実というものを軽んじない法はなかったのかも。
いまだに演者は登場していないけれど、結構な大物だからね。繰り返しになるけど、作者が今のうちから家康を盛っておきたかった気持ちだけはわかる(笑)
叡山に女子供がいるはずもない
ややの台詞を通して、叡山に女子供がいたことをアピールした橋田先生。
建前を重んじる、ねねの発言に比して。率直の本音を語る、ややの言葉には説得力があるかも。
加えて、ややの台詞だけでは飽き足らず。
橋田先生の御考えとしては、男の御坊様が修行の場として集う延暦寺に女子供がいるわけがないという道理が根本的にあったのかも。
それ故に、小一郎にまで語らせたりして。橋田先生ったら、くどい(笑)
小姑の口が過ぎる
何やら知らぬが、ねね様は御機嫌斜めじゃ。実家へは、こぼしにでも行かれたのであろう。(とも)
実家が近うて御幸せじゃ。私など、こぼしとうてもこぼしに行くこともできぬわ。(とも)
御荷物と化した居候の小姑から、こんなこと言われながら生活するのって嫌だね(笑)
週刊おんな太閤記随想、第九回「秀吉生還」
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