NHK大河ドラマ『おんな太閤記』第十二回「城主の妻」における橋田壽賀子作品らしかった部分をあれこれと随想します。
第十二回「城主の妻」の概要
天正3年(1575)春、ねねは今浜城に入り、城主の妻としての生活を始めますが、たくさんの侍女に囲まれて戸惑います。秀吉は今浜を長浜と変え、長く栄える国にする夢を語ります。利家とまつも祝いに訪れ、次に娘が生まれたら秀吉とねねの養女にする約束をします。喜びもつかの間、秀吉の側室・千草と息子・秀勝も入城します。ねねは子どもの産めない妻は去るべきと秀長に言い残して城を出ると、そこに義母のなかが現われます。
侍女が輿に乗った、ともを御内室と勘違いする
御内室が二本脚で歩き、御内室の御荷物こと、ねねの小姑・とも親子が輿に乗って今浜城に御着到したことで。長浜城の新規採用侍女が、ともを御内室と勘違いした一幕。そりゃ、間違えるよね(笑)常識的に、御内室が二本脚、その小姑が輿に乗って来るなんて思いもしないだろうから。
おみつとおあさも、いい感じの面相でアシストしていますね(笑)
橋田先生、御見事!
まつと利家が躊躇(ためら)いなく実子を養女に出そうとする
はい。今年の暮れにもう一人。(まつ)
おお!(秀吉)
まあ!羨ましゅうございますなあ。御一人ぐらい、頂きたいものでございますな。(ねね)
(笑)おかか(秀吉)
ねね殿もお寂しかろう。どうじゃ、まつ?次に産まれる子が女子(おなご)なら。(利家)
はい。秀吉殿とねね様なら慈しんでいただけましょう。(まつ)
まつと利家、親心を全く見せることなく(笑)全ては、ねねのためといった様相にも。
もちろん、ねねがヒロインっていうことも大きく影響しているわけだけど。それにしては、物の譲渡感が強かった印象。
だって、まつが腹を痛めて近い将来に産みだすわけでしょ。こんな簡単に割り切れるものですかね。何とも違和感が否めないところ。
ねねの女子(おなご)アピールが著しい
兎に角、第十二回の台詞でもっとも頻出したワードと言えば、おそらく「女子(おなご)」。特に、女子を唱えた回数が多かったのが、ねね。
私は杉原のうちを出て、浅野のうちへ養女に参りました女子(おなご)。
私は働くことしか能のない女子(おなご)。
わたしくが湯に浸かった時に洗えば済むもの。女子(おなご)の嗜みでございます。
私は秀吉殿を信じて今までついてきた女子(おなご)。
女子(おなご)の浅はかさとお笑いくだされ。
御世継ぎもできぬ女子(おなご)がおかかなどと大きな顔をして、秀吉殿のおそばに居たことが間違いじゃった。
私は、何の御役にも立たなかった女子(おなご)。でも、私にも女子(おなご)としての誇りがあります。
輿など要りませぬ。私は、長浜から出ていく女子(おなご)。
まさに、女子(おなご)は、ねねの代名詞といった様相にも。
女子(おなご)を唱えた、ねねの台詞をチェックするだけでも、どんな人物なのか、凄く分かりやすいかも。
入浴中に自分と旦那の分の下着を洗うなんて、橋田先生らしくて絶品の台詞でしたね。
それにしても、橋田先生が、ねねとかに女子(おなご)を唱えさせたくて止まない状況が著しくなってきました。
秀吉がこしらえた城の前で、なかが念仏を唱える
あーあ、どえらい城を建ててまって。戦をして、人を殺して、栄耀栄華をして何になる。後生(ごしょう)のええはずはなあわ。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。(なか)
例えば、ともとかの場合だと。秀吉がこしらえた今浜城に只々感激しない道理がない様相でしたが。これって、秀吉が頑張った結果に注目していますよね。
他方、なかの場合。秀吉が今浜城をこしらえることができた原因に注目しているのがわかります。すなわち、殺戮によって浅井を滅ぼしたことで手に入れた城といった印象が、なかの中では強い様相。故に、感激するどころか、念仏を唱えた次第。
このあたりの、なかの描写も橋田先生らしいと言えそうです。
次回に続く
週刊おんな太閤記随想、第十二回「城主の妻」
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