NHK大河ドラマ『おんな太閤記』第十三回「世継秀勝」における橋田壽賀子作品らしかった部分をあれこれと随想します。
第十三回「世継秀勝」の概要
秀吉は、母のなかが長浜城にやって来たので大喜びで迎えると、側室・千草と息子・秀勝のことでなかに突然しかられます。なかはねねに同情しながらも、息子・秀吉のため懸命に頭を下げるため、ねねは岐阜へ帰ることを思いとどまり、秀吉の世継ぎとして秀勝を慈しみ育てようと心に誓います。ある日、利家とまつが子供たちと一緒に訪ねて、以前交わした約束通り、産まれたお豪をねねと秀吉の養女として育ててほしいと言います。
なかが秀吉に強烈のビンタを御見舞いする
兎に角、渡鬼のビンタシーンは笑えることが多かったのですが。さて、NHKおんな太閤記のビンタはどうかと言えば。
とりあえず、なかが秀吉を引っ叩いたビンタ場面はとっても美味でしたね。やっぱり、何がいいって、ビンタを被る秀吉の面相が引っ叩かれる瞬間までしっかりと映像に捉えられているから。だから、面白いんです。
他方、映像の捉え方が中途半端だと。
見ての通り、たいして面白くない。そもそも、子供が串刺しにされたことが劇中で話題になっているから、どうしても、物語自体が笑えない構成だったりしたんだけどね。
なるようにしかならぬわ
今日はもう下がっててくだされ。御義母様に岐阜へ帰ることは思いとどまるように言われました。御義母様の御言葉に背くわけにはまいりませぬ。このような時に御義母様に御目にかかれたのも何かの縁じゃ。今日のことは御義母様に御任せして見合わせましょう。(ねね)
御方様(みつ)
案じることはない。なるようにしかならぬわ。(ねね)
兎に角、なってしまったものは仕方がない、あきらめの境地とでも言いますか。
橋田先生は、この手の道理的な言葉が好きみたいです。
ちなみに、後の世では「なるようになるさ。」というドラマの脚本を橋田先生が披露していますね。「なるようにしかならぬ」に比して、言葉が前向きになりました。
兎に角、橋田先生は主張とかがはっきりしているから、嗜好も分かりやすい傾向。
世継の母が身の程知らず
第十二回から登場した秀吉の妾で世継ぎの秀勝を産んだ千種。ほんと、厚顔無恥のパワー全開って感じですね。
ええか?はっきり言うておく。おみゃあさは、この子を産んだかもしれぬが、この子は藤吉郎とねね殿の子じゃ。おみゃあさにはもう縁はない。おみゃあさをこの城に入れたのは藤吉郎の間違いじゃ。それが分ったら、とっとと出ていきなされ。(なか)
御前様にそのようなことを言われる筋合いはないわ。私は秀吉殿に来てくれと言われたから来たのじゃ。私は秀勝の母親じゃ。他に母親は要らぬ。秀勝がこの城にいる限り、私は秀勝のそばに居る。誰にも何も言わせぬ。(千種)
なかの道理が千種には通用しない。秀吉の世継・秀勝の母親故に、なかを御前様呼ばわり(笑)
あっそうじゃ。菓子など進ぜましょう。(ねね)
結構じゃ!さあ、戻りましょう。このような所に長居は無用じゃ。(千種)
正室が提供しようとしたお菓子を拒否る(笑)
なんという女子(おなご)じゃ!人を馬鹿にしくさって!(なか)
公家の血を引いとるでのう、頭の下げ方を知らんのよ(秀吉)
それは、橋田先生の偏見かもね。公家だからこそ、礼儀作法を重んじている人だっているだろうし。千種は極端に無礼過ぎる(笑)
言いたい御人には言わせておけばよいではないか。おふくろ様というたとて、ただの居候じゃ。御前様がちいそうなってることはないわ。(千種)
私は秀勝殿の母親じゃ。御方様にもおふくろ様にも頭を下げるようなまねはせぬ。女子は子を産んだ者が本当の奥方じゃ。子も産めぬ女子(おなご)に偉そうな顔はさせぬ。力ずくでも御前様は私のそばにいてもらう。(千種)
なかをおふくろ様と称したことは進化としても。今度は「ただの居候」呼ばわり(笑)秀勝の母親故に、ねねやなかに首(こうべ)を垂れないことを自ら確約しちゃってるし。
私の留守に勝手なまねは許さぬ!(千種)
何じゃ、その口の利きようは!ねね殿をどなたと心得る!(なか)
私は秀吉殿の御世継ぎの母じゃ。御前様にそのようなことを言われる覚えはないわ!(千種)
何じゃと!(なか)
兎に角、千種にとっての「錦の御旗」は、秀吉の世継ぎの母であるということ。それしかないので、同様の台詞を繰り返す(笑)
老婆心が大名の一夫多妻を説く
差し出がましい申しようではございますが、これからは秀吉殿とて、何人も側室を置かれるようにおなり遊ばすやもしれません。それが、今の世の習いでございます。それくらい御覚悟なされておいででなければ、大名の御方様は務まりませぬ。女子(おなご)にとっては一番辛いこと。女子(おなご)の私にはよう分かります。それでも、このようなことを申し上げるのは、御方様が少しでもお聞き分け下されたら御気も休まるのではないかと。御方様にお仕えする者の老婆心にございます。(こほ)
大名になった秀吉の御方様として。秀吉のハーレムナイトを許容することについて、老婆心で促した、こほ。
老婆心なんて、令和の世では絶滅危惧種に指定されない道理がない言葉かも。橋田先生って、死語の使い手として、かなり重宝された存在だったかも。
ねねとややは「月と鼈(すっぽん)」
長政殿も百二十石の士分に御取立ていただいて、下働きの者も抱えられるようになった。今までの浅野の家とは違う。手は十分に足りております(笑)でも、御姉様は十二万石の殿様の御内室。百二十石とは「月と鼈(すっぽん)」じゃのう(笑、やや)
ねねやや姉妹を「月と鼈」に例えた橋田先生とか(笑)
月と鼈なのは、石高に限ったことではないかも。これまでの、ねねやや姉妹は何かと表裏一体の関係が表現されていましたね。建前のねね、本音のやや、とでも言いますか(笑)だいたい、ねねとは真逆のことを唱えてきたのが、やや。それ故に、ねねやや姉妹が「月と鼈」に例えられたのは、とっても愉快(笑)
古女房の胸がつかえる
それは、千種殿の方がお若くて美しゅうございます。私は古女房。とても千種殿には敵いませぬ。(ねね)
古女房の面倒くさい一面が小気味よく表現されていますよね。ふと、渡鬼の節子と大吉の絡みを想い出したりと。
こうした描写も橋田先生にとって十八番(おはこ)でない道理がない。
御命の代わりに御髭を頂戴する
髭、どうなされた?(秀長)
おお、髭がない(秀吉)
ほんに。そういえば、昨日は立派なのが付いておったのにのう(なか)
髭。儂の髭、どうした?髭。ああっ!ああ。(秀吉)
私が昨夜頂戴いたしました(ねね)
といった、寝入っている秀吉の髭を、ねねが頂戴したエピソードについて。
一個人の感想としては、あり得ない(笑)
古女房の恨みに気づかない
何じゃと!おかかが!どうして?何の恨みがあって?(秀吉)
そりゃ、決まっているよね。妾のことで秀吉が、ねねに恨まれない道理がない。
何となく阿部定事件を想起させる
どうしても胸が収まりませぬ故、御命の代わりに御髭を頂戴いたしました(ねね)
これで胸のつかえも下りました。二度と千種殿のことは申しませぬ。(ねね)
あの髭はのう、一年もかかって。大事な大事な髭じゃった!(秀吉)
大事な御髭故、頂戴いたしました(ねね)
(笑)おみゃあさのしたことは、女子(おなご)にとっては命を奪われるほど切ないものじゃ。髭ぐらいで済んでよかったと思うのじゃな。(なか)
橋田先生だから、御髭を頂戴することで喜劇にしたけど。
ねねの怨念が強ければ、秀吉の男根を奪った可能性も。だって、そうすれば他の女子(おなご)に手を出す心配が無くなるわけで。無論、そうなれば、ねねだって信長に処罰されて生きてはいけないだろうし、そこまで無謀ではないわけで。
ここでふと、個人的に想起したのが阿部定事件。
こうした女子が世の中には存在する可能性があるので。殿方はくれぐれもご注意を。
秀吉が髭を剃られても気が付かずに寝入る
「身から出た錆」じゃ。それにしてもまあ、髭を剃られても気が付かねえとは、寝首もかかれかねまいな。それで侍とは、はてさて、頼りない大将だわなも(笑、なか)
おかかのそばじゃ。まさかと思って寝入っておれば、気が付かぬも道理じゃ。(秀吉)
健康の人であれば、あり得ない(笑)普通は起きるでしょう。まあ、エピソードとしては面白いけどね。
ねねが、寝入っている秀吉の髭を剃る絵面も是非ほしかったところ。絵面にしたところで、秀吉が目を覚まさない滑稽の情景が展開されるだけ。それはそれで、また面白いけどね。
ねねを飼い犬呼ばわり
飼い犬に手を嚙まれたわ(秀吉)
秀吉からすれば、飼い犬のねねに髭を剃られた心境らしい。反省していない秀吉の心境が男尊女卑の言葉で表現された様相にも。
兎に角、飼い犬に男根を噛まれなくてよかったですね(笑)
次回に続く
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