NHK大河ドラマ『おんな太閤記』第二十回「秀長の祝言」の全語りと選りすぐりの台詞をご紹介します。雪の小面ちゃんによる寸評付き(笑)
第二十回「秀長の祝言」の概要
秀吉は三木城を攻略して長浜に凱旋し、堺の豪商などを招いて茶会を催します。さらに、ねねは一族や家臣に別席を設けていました。それは、ねねとなかで考えた、秀長としのの祝言の席です。しのは三木城の兵糧攻めで失明していました。秀吉はしのの嫁入りを許さないと激怒しますが、ねねとなかに脅され言いくるめられて、2人の結婚を認めます。その後、秀吉は鳥取城を落とし、天正10年(1582)、備中高松城を水攻めにします。
クレジットタイトルツイート
NHK #おんな太閤記 第二十回「秀長の祝言」
作:橋田壽賀子
音楽:坂田晃一
※中略出演
1佐久間良子 2中村雅俊 3浅茅陽子 4滝田栄 5音無美紀子
連名G
中G:1藤岡弘 2長山藍子 3田中好子 4泉ピン子
連名G
トメG:1赤木春恵 2尾藤イサオ 3前田吟 4西田敏行
※後略#おんな太閤記クレジット タイトル pic.twitter.com/fm5s35ymMI— 渡る世間の片隅で (@watasumi_net) August 13, 2022
企み
天正八年一月、播磨の三木城を一年に渡る干殺し戦術で陥れ、播磨平定を成し遂げた秀吉は、その年の二月に久しぶりに諸将を引き連れて長浜に凱旋し、早速城中で茶会を催した。客には堺の商人で茶人の津田宗及(そうきゅう)、銭屋宗納(せんやそうとつ)が招かれた。茶の湯を通じて当時の文化人たちの仲間入りをし、また一族の者たちの教養を高めようとした秀吉は、妹のきいもあさひというもっともらしい名前に改めさせていた。(語り)
橋田先生的に「きい」はもっともらしい名前ではないらしい(笑)
久しぶりに秀吉の帰城を迎えたねねには、その機会を狙って密かに胸に秘めた企みがあった。(語り)
おおっ、皆揃うておるのう(笑)おかか、何をしておる。早う。(秀吉)
今日はちと訳がございまして、もう一人同席させていただきとうございます(ねね)
ほう(秀吉)
皆様御揃いのこの席をお借りいたしまして、秀長殿の祝言の儀、並びに夫婦(めおと)の披露をさせていただきとうございます。秀長殿の奥方になられる、しの様にございます。(ねね)
既成事実をこしらえちゃえばこっちのもん的な道理
藤吉郎。見苦しいまねは許さんぞ。差し出たことをすると親の子の縁を切るでなも。(なか)
なかのアシスト(笑)両政所による連携プレーですね
ええ祝言じゃったのう
許さん!おかかとて許せぬわ!許せん!(秀吉)
ではどうぞご存分になさいませ。確かに私の一存で致しましたこと。覚悟はできております。(ねね)
橋田先生、人質松壽丸あたりから、ねねの一存が癖になってきた様相
これで秀長殿も御好きな方と夫婦になられたのじゃ。それが一番の幸せ。喜んで祝って差し上げてくださいませ。なあ?御前様。私は御前様に添うて本当に幸せだと思っております。今の御前様でしたら、とても足軽組頭の娘などもろうてはいただけませなんだ。有難いと思っております故、しの様の御力になったのでございます。それが女子(おなご)としての。それとも、私のような女子を、おかかにして後悔なさっておいでになりますか?(ねね)
おかか(秀吉)
確かに私の致しましたことは、おかかとして差し出たまねと心得ております。どのような御怒りも黙ってお受けいたしましょう。去(さ)れと言われれば、いつでも実家(さと)に去(さ)らせていただきます。(ねね)
差し出たまねと心得ていても致してしまうところが太々しい、ねね(笑)
去(い)ぬれとか去(い)ぬらせてとか、今回は使わなかったね。橋田先生、どうしちゃったんだろう??
おかか。儂はそのようなことを言うておるのではないわ。おかかは二言目には離縁じゃ離縁じゃと儂を脅す。卑怯じゃぞ!(秀吉)
女子にはそれよりほか筋目の通しようがございませぬ。(ねね)
とりあえず秀吉は、ねねに離縁されたくないんだね
あ、分かった分かった。もう秀長のことは何も言わぬわ。秀長のおかかじゃ、儂が口を出すことではないわのう。(秀吉)
まあ!御前様(ねね)
おかかとおっ母様には敵わぬわ!(笑)城は落とせてものう、おかかには歯が立たぬわ。負けた負けた!(笑、秀吉)
ねねとなか、両政所の勝利!
やっぱり私の思ってた通りの御前様じゃ。御前様のおかかになって本当に果報者じゃ。(ねね)
どうしても橋田先生は「幸せ者じゃ」ではなく「果報者じゃ」を使いたがる
ああ、ええ祝言じゃったのう(秀吉)
って思いつつも、怒ってたわけだ(笑)だったら最初からいい顔してやれよ
御疲れでございましょう。肩でもお揉みいたしましょうか?(ねね)
いや、おかかとて疲れておろうが。誰ぞ呼んでくれ。(秀吉)
誰にも触らせとうございませぬ。ねねだけの秀吉じゃ。(ねね)
う、うん(秀吉)
もう、爆笑!
ねねからの牽制が半端ない(笑)
晴れて秀長の妻となった、しのは夫と共に姫路へ帰って行った(語り)
前田利家様と御方様じゃ
秀吉もまた播磨へ戻って姫路城の修築にかかり、長浜城の留守を預かる、ねねは一族の束ねに領民との応対に相変わらず忙しい日々を過ごしていた(語り)
そして翌天正九年三月の初め、ねねにとって嬉しい出来事があった。前田利家とおまつが何年ぶりかで長浜城を訪れたのである。(語り)
はい。利長もこの秋、信長様の御息女をいただくことになりました。(まつ)
まあ!上様の御息女を奥方様に!まあ、それはおめでとうございます。(ねね)
利家も重んじられてたんだねー、信長に
利長は小牧で、ねね様の御世話で産まれました子。随分、守りもしていただきました。今でもその話をようするのでございます。(まつ)
あの御子がのう。私たちが年を取るのも道理でございます。(ねね)
(一同、笑)
確かにねー、劇中での見た目もだいぶ変わってきましたし(笑)
豪姫も大きゅうなられました。只今こちら。(ねね)
ねね様。豪には私たちのことは?乳飲み子の豪をもろうていただいて、豪もねね様のことをまことの母と思うているのでございましょう。ならば何も。私たちはそのつもりで参っております。(まつ)
それでええのじゃ。我らのその姿を見るだけで十分じゃ。(利家)
利家様(ねね)
史実はどうしたかよくわからないけど。とりあえず、橋田先生的には本当の両親を秘匿にするのね。
豪も筑前殿とねね殿に可愛がられて幸せであろう(利家)
筑前も姫、姫と目の中に入れても痛くないほど愛おしんでおられます。私も於次丸や豪姫がいてどれだけ慰められたか存じません。(ねね)
それを伺うて私、豪を差し上げたかいがございました(まつ)
橋田先生、慰めも多いよね(笑)愛玩動物的な
豪姫様でございます(こほ)
能登七尾御城主、前田利家様と御方様じゃ。御挨拶なされ。(ねね)
豪にございます(豪)
おお、ええ御子じゃ(利家)
ほんに美しい(まつ)
母様。能登とはどこでございますか?(豪)
北の海のそばでのう、雪がこんなに積もります。(まつ)
さあ、御方様に能登の御話をしていただきなされ(ねね)
立派な姫になられて(まつ)
ねねに対して豪が「母様」と言ったのに、まつが回答するあたりとか(笑)
渇(かつ)え殺しは酷い
一方、播磨ではその年の五月、約一年を費やした姫路城の修理が完成し、その間にも秀吉は着々と鳥取城攻めの準備を進めていた。そして六月の末、二万余の大軍を率いて因幡へ入り、毛利方の将、吉川経家(きっかわつねいえ)の守る鳥取城を包囲した。(語り)
のう、お姉様は長浜の町の噂を御存じか?秀吉殿は長浜の舟持ちに諸役を免じなされたというが、若狭に舟を持っている長浜の商人たちは、因幡へ下って因幡の五穀類をどんどんと買い入れておるそうじゃ。そのために、因幡にはもう穀類が無うなってしもうたとか。それがのう、秀吉殿の差し金じゃそうな。秀吉殿は鳥取城攻めに備えて城に兵糧を持ち込ませぬように、因幡中の穀類を買い占めにかかったのじゃと。長浜の舟持ちに諸役を免じられたのもそのためであったと。まことか?秀吉殿のなされよう、御姉様は御存じだったのか?秀吉殿は三木城攻めと同じように、鳥取城も渇え殺しになさろうとの御所存で。そうなのか?(やや)
鳥取城の渇え殺しに関する、ややからの説明が長い(笑)
ある意味で、ややのセリフが語りとワークシェアリング(笑)
やや。女子の私たちがとやかく言うことではありませぬ。(ねね)
じゃが!じゃが渇え殺しは酷い。三木城の干殺しの時も、世の人たちは秀吉殿のことを鬼のように言うたではないか。(やや)
弓や鉄砲の戦はもっと酷じゃ。お互いに傷つき死ぬ者も数知れず。三木城の時も、しの様のように無事だった方もおられる。秀吉殿とて人の命は大事にしておられる故。ただ、いつまでこのような戦が続くのか。早う、戦のない世の中が来なければ苦しむのは罪のない人ばかりじゃ。(ねね)
人肉の話が出ると酷いイメージだけど。刃物による残忍な殺め方と比べると、どっちが酷いのか。難しいテーマですね。
秀吉殿の深謀遠慮、見事図に当たったわ!(笑)因幡の穀倉は皆空っぽじゃ(笑)金に目がくらみおってからに。皆、長浜の商人どもに売り渡してしもうたらしいわい(笑、小六)
鳥取城の前の城代は、殿の謀略とも知らず目先の利に引かれて三年!三年分の蓄えを皆銭に換えてしまったということでございます。吉川経家などは毛利よりの援軍として鳥取城に入った時には穀倉は空。そのかわり、銭はいくらあっても腹は膨らまぬ(笑)籠城するとなったら石くれ同然です。(浅野長政)
ややの説明に加えて。さらに鳥取城の穀倉が空っぽになった理由を小六と長政を通して追加で説明
兵糧の乏しい鳥取城は秀吉の包囲作戦でたちまち飢餓にひんし、餓死した者の肉まで食らうといった惨状に、流石の吉川経家も観念し、己の自害と引き換えに部下の命乞いを条件に降伏を申し出た。秀吉はこれを許し、十月二十五日、半年を待たずして鳥取城は落城した。三木城の干殺しと並んで鳥取の渇え殺しとして今も語り伝えられている。(語り)
明けて天正十年一月、秀吉が突然長浜へ帰ってきた(語り)
明日、姫路へ立つ。おかかも一緒じゃ。秀家殿も御連れするぞ。(秀吉)
まことでございますか?(宇喜多秀家)
ああ、まことじゃ(笑)御母上にお会いできるぞ(秀吉)
秀家殿の御父上のこと
姫路でなんぞ?(ねね)
ああ。秀家殿の御父上の病が重い。(秀吉)
宇喜多直家殿が!(ねね)
ああ(秀吉)
でも、秀家殿は上様から御預りした大事な人質。たとえ、御父上が御病気とて勝手に連れていかれては。(ねね)
安土へ寄ってのう、上様に御許し頂いてきたわ。また、宇喜多の家督を相続できるようお願いもしてきた。(秀吉)
翌日、ねねは秀吉、秀家と共に、慌ただしく長浜を後にした(語り)
筑前殿を父上と思うて
筑前殿。秀家はまだ若年。筑前殿の御力なくば宇喜多の家を守ることはかなわぬ。くれぐれも秀家のこと。(直家).
筑前、直家殿が我らが御味方くだされたこと、終生忘れませぬぞ。筑前の力の及ぶ限り、秀家殿を盛り立て直家殿の御意志を継がれるよう。(秀吉)
かたじけない。秀家。(直家)
はい(秀家)
筑前殿を父上と思うて(直家)
史実通りっぽい
はい。父上!(秀家)
御前様!(ふく)
梟雄、死す
目は見えなくとも
どうじゃ?姫路もなかなかのもんじゃろう。しばらくゆっくりしておったらええ。しのもおることじゃ。(秀吉)
でも、そう長く長浜を留守にするわけにはまいりませぬ(ねね)
義姉様。しのが義姉様のことを待ちかねて。(ねね)
ああ(ねね)
しの殿の明るい御顔を見て安堵いたしました(ねね)
目の見えぬのにもだいぶ慣れましてございます。秀長殿に労わっていただいて。これもひとえに御方様のおかげでございます。(しの)
目が見えなくなってしまった具体的の説明がほしい
でも、秀長殿御出陣中は心細うございましょう。長浜におってはかえってお気を遣われると思って、姫路においでになるのを御止めはしませなんだが、もし心細うおなりになったら、いつでも長浜に戻っておいでなされませ。(ねね)
ありがとうございます。どこにおりましょうと、私の胸の中にはいつも秀長様がいてくださいます。目は見えなくとも、秀長様の御姿はいつも見えます。一人でも寂しいと思うたことはございません。(しの)
直家殿の御方様が何故
直家殿の御方様が何故、秀吉殿の側室になられるのか?(ねね)
秀家殿は何と言ってもまだ御幼君。兄者がそのつもりなれば、宇喜多を討つなど赤子の手をひねるより容易でございます。(秀長)
秀吉殿がそのようなことをなされる道理がないではないか!(ねね)
義姉様、世は乱世。兄者に裏切るつもりがなくとも、信長様の御心は知れませぬ。今は宇喜多の所領を安堵なされているが、いつどんなことになるか。宇喜多の家臣が疑心暗鬼になったとて不思議はありますまい。そのような憂き目を嫌というほど見てきておるのです。戦乱の中で、御家を守るために兄者に人質を差し出し、兄者にすがるよりほかに道はないのじゃ。(秀長)
信長は配下を疑心暗鬼にさせる天才だったかも
御家を思う家臣たちの知恵。おふく様も承服なされた由にございます。(秀長)
秀吉殿はお受けなされたのか?(ねね)
たとえ乱世の習いとはいえ、儂には納得できませぬ。おふく様は御子息、秀家殿の為、また宇喜多の家の為にと目をつぶられても、義姉様の御気持ちを思うと。(秀長)
ねねの悋気(りんき)がまたはじまっちゃうね(笑)
おふく様とてどのようにお辛いことか(ねね)
おふくというよりも。ねね自身が秀吉に側室ができるのが辛いんじゃないの(笑)
義姉様。義姉様から兄者に思いとどまるよう。儂が言うても聞いてはくださらぬ。(秀長)
それでは私が言うても。そういう御方じゃ、秀吉殿は。(ねね)
ほんと、橋田先生が描写した秀吉は微妙。ねねの言うことに聞く耳がある時とない時がある。ご都合主義が際立っていたとでもいいますか。
秀吉のおかかのやきもち
ねねは密かに備前の岡山城に向かった。おふくに会うためである。(語り)
あ、女子の私がこのようなことを申し上げるのは差し出がましいこととは存じますが、おふく様に出家をお勧めしたいと思いまして。(ねね)
差し出がましいことと存じながら。ほんと、ねねがある意味で質が悪くなってきたかも(笑)
私に尼になれと?(ふく)
言われた、ふくはびっくりしただろうね。「強制ですか?」みたいな(笑)
仏門に入られた方を御家中とて筑前とて、よもや側室にとは申しますまい。(ねね)
なんといっても「ねねだけの秀吉じゃ」からね(笑)ねねの本音はいろんな意味で側室になってほしくないみたいね。
ねね様は何もかも御承知で(ふく)
おふく様の胸中、いかばかりかと(ねね)
いや、そんなのは建前だよね。ねねの胸中の方が実はいかばかりかと。悋気でね(笑)
私の身はどうなりましょうと、もう覚悟はいたしております。ねね様の御心遣い、ありがとうはございますが、それよりほかに秀家や宇喜多の家を救う道は。今更、尼になるわけにはまいりませぬ。(ふく)
ねね、拒否られる(笑)
ならば秀家殿を私に、羽柴の家の子としていただくわけにはまいりませぬか?秀家殿御成人の暁には、必ず宇喜多の家の御世継ぎとして私が御守りいたします。(ねね)
はっ(ふく)
ふくが「はっ」だって(笑)秀吉の御内室が妙に喰らいついてきた印象だっただろうね。ふくにしてみたら(笑)
お聞き届けくださいますか?(ねね)
二夫に見(まみ)ゆるは女子の恥。直家殿亡き後は、心静かに菩提を弔う所存でございました。尼になり、女子の操を通すことができますのなら本望でございます。また秀家を、ねね様に御守りいただけますなら。(ふく)
橋田先生、女の操とか、おふくに投入してきたし(笑)
ちなみに、ふくって秀吉の側室になったら三夫目じゃなかったっけ(笑)
いえ、御子に頂いても御養育はおふく様に。秀家殿とて、まだ母親の恋しい御年頃。尼としておそばでお仕えなさいませ。(ねね)
ねね様(ふく)
元服前=母親の恋しい御年頃
おふく様や秀家殿のためだけではございませぬ。これで私も救われます(笑)秀吉のおかかのやきもちと御笑い下さいませ。(ねね)
まあ(ふく)
やっぱり、ねねの悋気(笑)
秀吉の側室になることを、ふくが嫌がっているようにも見えなかったんですけど
ここまで、ねねの悋気を突き付けられたら、ふくとしては尼になるしかないよね(笑)
これは女子と男の戦にございます。男の思うままにされて黙ってはおられませぬ。女子同士、腹を合わせて戦いましょう。(ねね)
ふくが、ねねに丸め込まれる(笑)
まあ(ふく)
おふく殿が尼に
おふく殿が尼になられた(秀吉)
実質的には、秀吉の御内室から「側室にならないでください」って圧力かけられたようなもの(笑)
まあ、それは御殊勝な。女子の命は操にございます。見上げた御心ばえでございますなあ。(ねね)
ねねの命は悋気(笑)
おかかの差し金じゃろ。秀家殿を養子にすると約束したそうな。まことか?(秀吉)
はい。秀家殿は人質として私が何年か手元でお育ていたしました。あのような御子がいたらと思っておりました故、たってと、おふく様にお願いいたしました。成人なすったら、きっと御前様のよい御味方になられましょう。これからはどんどんご養子をお迎え遊ばされて、羽柴の家の子としてお育ていたしとうございます。子は多ければ多いほどいいものでございます。私も楽しみができました。(ねね)
おかか。おかかも強かになったのう。(秀吉)
はい(ねね)
秀勝もいよいよ初陣
秀勝もいよいよ初陣の時が来た(秀吉)
於次様を戦に?(ねね)
間もなく備中へ出兵する。その前に備前の児島にまだ攻めねばならぬ城が一つ残っておる。それを儂が供をして秀勝に落とさせる。初陣には格好の戦よ。おかかもちょうど姫路におる。よい折と思うた。(秀吉)
はあ、いよいよ於次殿が(ねね)
羽柴の立派な跡取りになってくれようのう(秀吉)
それはどうかな
於次秀勝の出陣を見送ると、ねねは長浜へ戻った。やがて、そのねねに秀勝が見事、敵城を攻略し、初陣を飾ったという知らせが届いた(語り)
高松城の水攻め
その年の五月、備中ではついに高松城攻略作戦が開始された。地形から見て攻めるには難しいと見た秀吉は、水攻めの計画を立て、本陣と城との間に高さ七メートル長さ約三キロの堤防を築き、足守川をせき止めてその水を引き込んだ。時は梅雨。みるみる水かさは増し、たちまち高松城の周囲は水浸しになり、城は孤立した。有名な高松城の水攻めである。(語り)
甲斐の武田勝頼親子がのう、ついに天目山において自刃したと聞く。信長様は直ちに兵を返され、上様自ら兵を率いられてご出陣なされるそうじゃ。また、明智光秀殿も兵を集めて我らを助けるため帰国なされた。上様、総力を挙げての毛利攻めじゃ。どうでも高松城は落とさねばのう。(秀吉)
武田滅亡
ほんと、信長が生きていたら毛利も上杉も危なかったね
既に高松城の糧道は断ってある。あとは三木、鳥取両城と同じく城内の窮乏を待つだけよ。(小六)
毛利では、輝元自身、吉川元春らと救援に出兵しておる。予断は許さぬ!(黒田官兵衛)
毛利は必死さ。信長が生きていたらどうなったんだろう。毛利のいいところも見てみたかったような。ここまでは秀吉にじわじわと迫られている印象。
毛利との決戦は悪戯に兵を失うだけじゃ。毛利とて城内の将兵を見殺しにはできまい。城内の将兵の命と引き換えに和議をすすめる。(秀吉)
和議の条件は?(官兵衛)
備中、美作、但馬、三国の他に備後、出雲の両国の割譲と清水宗治の切腹よ。(秀吉)
それではこの戦、長引きそうですな。(浅野長政)
覚悟の上じゃ。そのための水攻めよ。(秀吉)
大大名の毛利がどんどんと領地を削られていく
この時、信長は高松城攻めの応援に中国へ下るため、長男信忠と京へ向かっていた。一方、明智光秀も備中出陣の命を受け、その準備のために丹波亀山城へ急いでいた。運命の日、本能寺の変の六月二日は刻々と近づこうとしていたのである。時代は大きく変わろうとしていた。それは、秀吉とねねの運命をも大きく変えることであった。(語り)
信長の死、影響力が大き過ぎたよね
次回に続く
再放送当日、渡隅ツイート
週刊おんな太閤記随想、第二十回「秀長の祝言」